院長紹介

小学校時代

私は昔、い草で有名だった岡山県の早島町で生まれました。

早島町は人口12,000人弱の小さな町で、昔はホタルが飛んでいたぐらいの田舎でした。私の小学校時代は、やや肥満体型、おとなしい、めだたない存在でした。

趣味としては、プラモデル模型を作ったり、自然の中で遊ぶのが好きで、よく魚を採りに行ったり、虫が好きで、暇があれば一日中友達と虫を採っていました。

採ってきた虫の触覚、羽、6本の足などをきれいに展示して昆虫標本を作るのが好きでした。夏休みの宿題で、昆虫標本箱を提出して、学校から表彰されたりして、得意気になっていました。今から考えると、虫たちには残酷なことをしてきたと思います。

また、私は遠足のとき、いつも憂鬱になっていました。なぜならば、乗り物酔いが激しく、バスのあの排気ガスの臭いを少しでも嗅いだら、吐きそうになっていたからです(遠足自体は好きでした)。小学校時代はそういう日々を送っていました。

私の父の職業は医師で、宿直も多く、毎日、帰ってくるのが遅く、夕食も家族で揃って食べたという記憶があまりありません。いつも忙しそうで、あまり遊んでもらえませんでした。

私の父は、父が中学生の頃、目に傘が刺さって、つぶれてしまいました。父は、本当は将校になりたかったようなんですが、目のことがあったために、医者になったといっていました。

しかし、父は片目がないというそぶりも見せず、私は高校生ぐらいまで、父の片目がないことさえも知りませんでした。その後も、父が自分の目について私に語ったことはありませんでした。

父は非常に頑固で、石橋を叩いても、渡らないような性格でした。父はこうと決めたら、変えずに行くという感じでした。父親は何をするにしても、慎重でした。私が「自転車であそこに遊びに行きたい」と言っても、「危ないから、遠くに行ってはだめだ!」と言われてました。私はそんな父に対して、反発し、父親の言うことを聞かずに、どっかに行っては怒られてました。

父と話すときには、最初からきちんと筋道立てて話をしないといけないので、話がいつも長くなってました。「いちいち、面倒くさいな~」と思っていました。大人になってからも、そんな感じでした。

しかし、この年になって、自分を見てみると、「少しずつ」「慎重に」という父親のやり方を自分もしているのです。今は、そんな自分を変えようと奮闘中です。

もし、父が生きていたら、現在、計画しているリニューアルに関しても、「別段、上手く行ってないわけじゃないんだから、そんな無理せんでもええ」と言われていたでしょう。

父親の口癖は「一事が万事だ」で、いつも怒られてました。

小さいときの父は、私が悪い事をしたら、頭をゴツンと叩く非常に怖い存在でした。

その父も2年前の夏に亡くなりました。

子供のとき、少し、寂しい思いをしましたが、父は患者さんのために夜遅くまで、がんばっていたのだと思い、「医者とはこういうものだ」と身をもって教えてくれたんだと感謝しております。

私も3人の息子の父ですが、子供にも父の想いを伝えて行きたいと思います。天国のおやじ、ありがとう。

中学・高校時代

中学高校時代は、通学期間が長く、自転車⇒電車⇒徒歩という毎日だったので、学校までの行き帰りだけで疲れていた思い出があります(小学校時代は徒歩1分)。

自転車に乗って、駅までの距離が結構、長かったので、おかげで体力はつきました。
中学に入学するときに、クラブ活動を楽しみにしていましたが、通学時間が長かったため、断念しました。

今から思うと、軟弱だったです。

小さい頃から、特に何になりたいという強い願望はなく、高校になって、そろそろ自分の進路を考えていたところ、父の「お前は手先が器用だから、歯医者でもなったら?」という言葉がきっかけで歯学部へ進もうと思いました。

歯医者になった理由は、その一言が発端です。
今、考えると、何と安易に決めてしまったと思いますが、歯医者は自分に合っていると思うし、あの時の父の一言には感謝しています。

大学時代

大学は神奈川歯科大学に入学。親元を離れて、神奈川県横須賀市に一人暮らしとなり、下宿先は共同便所、風呂なしで、生まれて初めて、銭湯通い。貴重な体験ができました。

学校の実習(特に歯と直接関係のある実習)は大好きで、楽しい学生生活を過ごしました。専門課程になると、毎日が忙しくなり、特に5,6年生の臨床実習では色んな思い出があります。

そのうちの一つに一人暮らしの高齢の方の総入れ歯を作製していたのですが、途中から、その方が来院されなくなり、電話も通じず、「もしかしたら、死んでしまったのでは?」と心配し、お家まで何度も足を運びました。

結果、願いが通じたのか、お会いすることが出来て、入れ歯を装着することができて、単位ももらえ、2つの心配が解消されたということがありました。その方は、実は、体調を崩されていたのでした。そんな苦い思いでもあります。

卒業後大学病院時代

神奈川歯科大学卒業後、岡山へ帰り、岡山大学第一保存科へ入局しました。

保存科に行ったのは、自分が手先が器用だったのと、歯の治療をしていく上で、根っこの治療が基本ですので、それをしっかりとできるようになりたいという気持ちからでした。

そのためか、今でも、普通だったら抜いてしまうような歯でも、根っこの治療を一生懸命することで残していくように努めています。

大学病院に行ったのは、行きなり開業医に行くよりは、もっと勉強したほうが良いという考えと、自分の先輩が岡山大学の大学病院に行っていたこともあって、岡山大学の大学病院へ行きました。

それと、父が横須賀に私に会いに来てくれたときに、久しぶりに父親を見ると、頭は真っ白になり、「あー、父親もこんなに年をとったんだな~」としみじみ痛感したこともあって、横須賀から実家に戻ろうと決めました。

大学には素晴らしい先生がたくさんおられましたが、その中でも、岡山大学の助教授と出会い、その先生の患者様に対する接し方、言葉使い、優しさ、治療内容など、どれを取っても素晴らしく、その先生に一歩でも近づきたいと思い、頑張って勉強しました。

その助教授は異常なほど、腰が低く、絶対に偉そうにしませんでした。しゃべり方が独特で有名でした

当時は、歯医者をサービス業と考えている人がほとんどいなかった時代です。患者さんに対して、決して偉そうにせず、患者様を一番に考える姿勢を見て、「こういう先生を目指したいな~」と思いました。

その影響もあって、私も「患者さんに絶対に偉そうにしない」「患者様が納得するまで、十分に説明する」ということを決意しました。

今現在の私があるのも、その先生のおかげと思っております。

また、大学病院は治療だけでなく、学生実習、実験、学会発表などがあり、懐かしい思い出です。

総合病院時代

総合病院時代は内科、外科などの先生と、緊密に連絡がとれ、患者さんの全身状態を考えながら安心して治療が出来ました。

この時代に、多くの患者様と接することが出来ました。

その後、また、大学病院へ戻りましたが、多くの患者様と接することが好きだったため、地元で開業する決心をしました。

開業

昭和63年、瀬戸大橋が開通した年に開業しました。

当時、行きたくないところベスト1に歯科医院があがっていたので、私としては、なるべく痛くなく、恐くない、安心して治療が受けられる歯科医院づくりを目指して頑張ってきました。

しかし、開業した当初は、スタッフも少ない中で、治療が必要な患者様が多かったので、「十分な説明をしよう」と思ってはいたものの、たくさんの患者様を治療しなければいけない忙しさにかまけて、一生懸命、歯を削っている状態でした。

開業当初は、そんな風に一生懸命、歯を削っている状態でも、患者様はたくさん来てくださっていました。しかし、開業8年目ぐらいのときに、ある患者様から衝撃的なことを言われました。

「来なきゃ良かった。ここに来たせいで咬めなくなった」と言われたのです。私としては、十分に説明したつもりでいました。また、この方が治療しては来なくなるの繰り返しでしたので、上手く伝わってなかったこともあったのかもしれません。

「何言ってるんだ!」と思いましたが、よく考えてみると「自分は本当にしっかりとした説明をしていたのだろうか?あの、自分が理想とする先生のように説明できていたのだろうか?」と思い、「これからは、患者様にもっとしっかりとした説明をするようにしよう」と思うようになり、それからは患者様が納得するまで、十分な説明をするようにしております。

その時、私にクレームを言ってくださった患者様のお陰で、本当に大切なことを気づかせてもらいました。

この経験で、それまでの治療ばかりをし続けるやり方にも限界を感じました。いくら治療を一生懸命やっても、悪くなったらまた治療しに来て、それの繰り返しで、結局、患者様の歯は残っていかないということを痛感しました。

「これからは、悪くなった歯を治していくだけではなく、悪くならないように予防していくことが大事なんだ!」と大きく方向転換することになりました。

そのために、全ての患者様に歯の大切さと歯を支える口の状態、全身状態の大切さを説明するようになりました。最初のうちは、「歯医者なんか、痛くなったら行くものだ」という方がほとんどでしたので、なかなか理解してもらうことが難しかったのですが、続けていくうちに、徐々に歯の大切さに気づいてくださる方が増え、次第に定期健診の患者様が増えてきて、今では、治療中心の歯科医院から予防中心の歯科医院へとシフトしつつあります。

今年で開業17年目になります。

遅まきながら、当院をリニューアルし、これからは今まで以上にじっくりと患者様と向き合い、なるべく歯を削ったり抜いたりしないで、皆様のお口の健康を保てるように定期的にサポートし、気持ち良さを分かってもらえるような歯科医院づくりを目指していくつもりです。

はら歯科医院
はら歯科医院 院長 原 哲也

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